人を愛せるのか 本当の人間愛って

時として、どうしても自分の思い通りにならないことはある。

こうして欲しい。こうなって欲しい。こうあるべき。

こんな感情に縛られていることに気づけず、この感情の答えを探して

もがいてもがいて。

答えなんてないのに。

そこにさえも気づけずに、とどまり続け、苦しいという感覚も無視し、自分自身を無視して

苦しみ続ける。

自分も痛めつけているのだから、他人にも無意識に同じことをする。

 

そういった人は、やはり周りをかき乱す。独りよがりの荒波を起こし、周りをも波立たせる。

 

そんな人に対し、「あの人は、独りよがりで、周りをまきこんで。あの人は、一点しか見てない。見えていないんだ。もっと周りを見るべきだ。だからダメなのだ。許せない。」と。

でも、そう思っているその人も、あの人は、ここがだめ。こうあるべき。の、そこの一点しか見えていない。

見えていないから苦しい。

 

人は、わからない。

このわからないという感覚が、

不安で。不安で。心に沈みこんでいく。

人間関係のごたごたの当事者。その渦の中にいたら見えにくい。

一歩ひいた視点から、見渡すと見えてくることがある。

自分を客観視できる視点をもつ。

焦点をどこに置くかで、見え方、感じ方は変えられる。

かと言って、自分を客観視しろ。すぐに柔軟な考えになれ。と言われても、それはすぐにできるものではない。

でも、生き方や考えかたは

一点ではないし、焦点の置き場だって自由に変えることができる。

いろんな考え方があるのだ。

いろんな考え方があっていいよね。

と。

本当の愛って?!

 

だが、

頭ではわかっていても、本当に自分がそう思っているのかは疑問だ。

不快に感じるものは、いろんな考え方ががあるものね。

と、やはり済ませない自分がいるのだ。

差別は良くない。頭でわかっているつもりでいるだけで、

いろんな考え方があるのだ。を、しっかりと受け入れていない自分が往々にいる。

 

歌手の中島 みゆきさんの歌。『一期一会』にも

人間好きになりたいために 旅を続けていくのでしょう

という一節がある。

 

人間好き。この好きは、本当の深い部分での人間愛。

 

みんな おんなじなんだ。

こう自分が

しっかりと深くまで受け入れられた時に、また見えてくることがあるのだろうか。

まだ、そんな感じがするな。

という感覚でしかないけれど、自分の欲望としては、そんな風にとらえられ、受け入れられる人になりたい。

大木のような

太くしっかりと地に根づき、太陽の陽をめいっぱい浴びて

周りの植物たちとのネットワークをとりながら

 

大きく太く どっしりと

 

しっかり自分の人生を歩んでいきたい。

自分の時間は、無限にあるんじゃない  有限だから。でも、

焦らず、ゆっくりと。自分の目指す人に。

人間好きになりたいための旅を。

めいっぱい 楽しんで。

確実に幸福な人となるただ一つの道は

人を愛することだ。

- トルストイ -

 

悪に対して悪をもって報いることは、

幸福を失うことである。

悪に対して愛をもって報いることは、

幸福を得ることである。

- トルストイ -

 

深く愛することのできる者のみが、

また大きな苦痛をも味わうことができるのだ。

- トルストイ -

 

自分を憎む者を

愛してやることはできるが、

自分が憎む者を

愛してやることはできない。

- トルストイ -

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