蝉の一生 生ききるしかない

頑固

この頑固は、一番たちが悪い。

自分の考えを曲げられない人。自己愛が強い。自分の非を認めない。プライドが高い。人のせいにする。

頑固にも、筋道の通った頑固と、こうあるべきの頑固、自分がかわいいだけの頑固。

同じ頑固でも、

自分をみつめず、考えず、逃げて、問題に直視しようとしない頑固は、もう成長をやめたということ。

頑固な自分を認めて、そんな私を許します。と、自分を改める事は、そんな頑固ものにとっては、とても難しいこと。

この頑固

自分を愛さなければ。の自分に対しての執着で起こる。

男女間でも、両者喧嘩して相手に執着するから苦しい。どちらが正しいか。になるが、それも要するに自分に執着しているのだ。自分は、正しいのに、相手はわかってくれない。自分は、自分は、自分は。

と。

そうならば、すぐさまにでも、そのことを手放せばいい。相手はこうなのか。自分は違う考えだな。と、相手を認めた上で、自分の方が正しいを、手放してしまえばいい。

かといって、自分の軸をぶらしてもいいということではなく、自分も成長しているからこそ、自分をみつめながら、執着を手放す。

手放せなければ、ずっとお互いが苦しみあうことになる。相手に執着しているようで、自分に執着の過酷な旅になってしまうのだ。

わかってくれない考えの違う相手に執着するよりも、人が幸せになることに執着していたほうが、ずっと心穏やかに、幸せ。なんの苦しみも存在しなくなる。

悪魔をつくるもつくらないも、自分次第。

蝉の一生

虫や、植物、動物たちは、この世に生まれてきたことに感謝し、愛を感じて一生を精一杯生きている。

感謝しています。愛しています。と、想っているという意味ではなく、生きる。という壮大な愛を盲目的に受け止め、生を全うする。生を全うすることだけに、精一杯な虫や動物たち。

それこそが、最高の愛のカタチ。

勝手に息が吸えて、勝手に手や足が動く。勝手に目覚めて、勝手に眠くなる。勝手に声が出る。勝手に元気になって。勝手に感動したりする。勝手にうまくなってたり。

虫や動物たちは、もっとこうしてほしいなんてことは思わない。生を与えられたのだから、ただ、ただ、生を愛を全うすることだけに注力する。

人間も、勝手にできていることに、最高の愛に。もっと目を向けてもいいのではないのか。

そしたら、自分に執着なんてしなくなる。

生きてるだけで丸儲け。

あなたが、この世に存在しているだけで、それはもう、愛のカタチ。

愛のカタチの人、人、人。

人の絆や、つながりは、自分の考え次第で、いくらだって築いていける。

最近、また、新たな人との出会いがあった。

販売のことで、養護学校さんとコンタクトをとらせていただいた。

見学に来てほしいと呼んでくださり、見学させてもらった。

ガラスに絵や文字を写す製作を、子供達は、一つひとつの工程。暑い作業部屋で、丁寧に、集中して行っており、それにまず関心した。

そして、先生たちの、一人ひとりの障害の状態や、発達段階に応じ、子供達が社会参加の基礎となる「働く力」を育てるためのアイデアや、試みを教えていただいたが、先生のアイデアにも脱帽した。

利益を出すことが目的ではなく、子供達が、地域や企業と連携して経験値を上げていくという取り組みに、人との絆、つながりを改めて強く感じることができた。

子供達から、元気を!!と、楽しみに見学へ行ったが、それ以上に得ることが多く、そんな時間を与えてくださった養護学校の先生に、深く感謝し、これから切れることのない大切なご縁にして、これからの活動を進めて行こうと思う。

 

蝉の一生。

土から出てきてからは、短い命。けれど、時間は有限だからこそ、精一杯の生き方をしていきたい。

蝉のように。精一杯。

どこへ注力するかで、人生は決まる。

 

 

死にたいは、楽になりたい?

死にたいと叫ぶ人は、感謝の気持ちのない人。 何に、感謝していない?

 

 

自分の身体は、本来軽やかで、快を与えてくれる。そんな自分には、目を向けず、辛く苦しく、大変な方へと向かい、身体を酷使する。どんどん自分で重石を乗せ、拘束し、鉛のように重苦しいものにしてしまう。それも、自分自身で。身体だけじゃなく、心。感情にも不満や不平をいっぱいいっぱい溜め込んで、感情のプールをいっぱいにし、我慢をする。

自分自身に、感謝するという気持ちがない。

生み出す素晴らしいもの。それが、自分だ。と、心の底から感謝できていれば、何も生み出さない死へなど、執着したりはしない。

感謝できていれば生み出すことに、意識を向けていける。

真の素晴らしいことに目を向けないで、社会での名誉や地位、社会のルールに縛られ、そちらに意識が占領される。

そのマインドセットをかえ、とっぱらえば、真の大切さが見えてくる。

あなたが知らない大きなチカラ。生きるチカラを持って生まれたあなた

あなたのいのちのはじまりは、こんなに小さかった

奇跡の連続を起こしてきたあなた

人生は、ゲームだ

何が起こるかわからない。わからないからこそ、面白い。

人生の中で、欠落があって、そこからもしかしたら非典型的な知性が目覚めることだってあるかもしれない。

いわゆる東京大学に入れるような頭のよさは
「典型的な知性」という

スティーブジョブスのような天才は
「非典型的な知性」だという

安定か不安定か。不安定が来たら、安定が来て、発展となる。

安定ばかりだと、人間は発展していかない。

 

どん底になったなら、もうあなたは、強くなった

 

死にたくなるような大変なめにあっても、そのあとが発展が待っていたり、もしかしたら、非典型的な知性を身につける奇跡が起こることだってあるかもしれないし、そうでなくても、新たな自分の発見があるかもしれない。(何にせよ、ワクワクした方がいい)

前へ進まなきゃわからない。

前へ進むしかない。

 

そんな元気が出ないなら、自分をいたわってあげることに全力を使う。

休むことは、悪いことではなく、

大切にしているということ

思いやっているということ。

なんのために生きるのか。

わからないは、不安でしかない。

わからないことは、少し置いといて

自分をいたわってあげる。

そうしていれば、また違った景色が見えてくる。

人類の目的が、きっと見えてくると信じて。

自分自身とは、はるか遠くに輝く大きな星だ。時間をかけて望遠鏡で探して、ようやく見つけられるものだ。

 

「キミは雨を愛していると言うけれど、傘をさして歩く。太陽を愛していると言いながら、日陰に逃げこむ。風を愛しているのに、窓を閉じる。だから、愛していると言われるとこわいんだ」

 

 

嫌なことも嫌なことにしない ゲーム感覚でのりきる

嫌なことは、自分で引き寄せている?日常、生活していると、どうしても嫌なことというのは起きる。

「なんか、嫌な予感がするなーー。」

「上司に言われそうだなぁ。」

と、嫌な予感を感じている時点で、自分で引き寄せているのか、そのとうりになる。

誰かに責められたり、コントロールされそうになったり、よくあることだが、

責められる自分が悪いのか。コントロールされない自分が悪いのか。

本当に、自分が悪いのか?

そこは、しっかりと考えたうえで、そうではないな。と、答えが出たのなら、

ゲーム感覚で、自分は、それに

どういった対処をするのかな。

どういった心持ちでいられるかな。

自分の心のブレに、気づく方法として、ゲーム感覚で人に接することで

たいがい、そのとうり起こったとしても、 嫌なこと にならずにスルーできる。

そこで、ゲーム感覚を忘れて、自分も一緒になって感情の波を起こしていると、完全に嫌なこと。になる。

 

 

一緒の波にのらない。

一緒の感情に下がらない。

 

自分軸をつくるものと捉えることができたら、まわりの人たちのありがたさに、改めて気づくことができる。

自分のことは、見えない。

良いことに変えるゲーム

だからこそ、まわりの人たちとの、嫌なことに思えることも、自分軸で、いいことに変えるゲームを楽しむ。

嫌なことと思えることほど、意外と自分では見えていなかったことが詰まっていたりする。

「嫌なことだった。」「あの人は、嫌な人だな。」

で、すますのはもったいない。

ゲーム感覚で、自分軸をしっかりつくれたら、

毎日ハッピーに

 

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死生観 自分を殺す 無関心

人の死は、生きている人たちに、何かを訴えかけているよう。

恩師の死

ブログに書くなんて、非常識ではないかと思われるかもしれないが、この、今だからこそ敬意を払い、自分の想いを綴りたいと思う。残したいと思う。

その知らせを聞いた時、「そうなんだ。」と、とても落ち着いている自分がいた。残念と安堵の、複雑な気持ち。

人は、生きたいと、自分が意識していないだけで、常に思っている。生きたいと。

生きたい。は、欲求。

病気

肉体が、自分の意思ではどうにも動かなくなって、意識がある中で、欲求も強くなっていくのかいかないか、それさえわからないけれど、簡単な想像なら、辛く苦しいものだと思う。

生きていて欲しい。と、楽になってもらいたい。

生きたいという気持ち、欲求、人間そのものだとしたら、それと同じぐらい死ぬということ。どうなってしまうのかという不安は、想像できないくらい計り知れない おおきなものなのだろうか。

 

聖路加国際病院名誉院長     日野原重明さん105歳が、亡くなられた。

 

 

生前、最後のインタビューとして、テレビに放映された。

おっしゃっていた言葉が、心に残る。

「先生、死ぬことは怖いことですか?」





「怖いね。聞くと、嫌になるね。はっきり言われると恐ろしい。」

「おろおろする以外で、何もできない自分がいてね。
おろおろする自分は、どうしたらいいかということを考える。」

「人間は病むことによって、本当の人間が現れてくるんだなと。
人間、存在をおろおろする中に、やっと気づいてくる」


 

 

 

おろおろするばかりだ。

生きたい。と、不安と。きっとこの2つの感情が、絶え間なく押し寄せ、おろおろとさせるのか。そのなかでもがいても、生きたい。

死は、

その苦しみから解放はされるけれど、そこで終わってしまう。

NHKのニッポンのジレンマ『死生観のジレンマ〜今、死ぬということ』

死とは、圧倒的な断絶である。
                      小池 龍之介

生まれ変わりや、幽体離脱のイメージのように、死後もなお意識があると思いたい。思い込みたい。

けれど、死は、その言葉のとうり 圧倒的な断絶。

なにもない。

存在するものから、無へ。圧倒的な断絶。それが死。

 

生きながらにして、自分を殺す 無関心

「愛の反対は憎しみではなく無関心です」
マザーテレサ

自分に無関心

自分を押し殺して、自分の感情に蓋をしてしまい、まわりに流された生き方。自分よりもまわりに合わせ、知らぬ間に、自分に無関心になっていく。

それを、よしとする生き方。

きっと、その生き方でも、まわりには迷惑をかけるわけでもないし、とくに不幸でもない。

でも、自分の死が断絶されるのであれば、なおさら、自分の生き方について

きちんとみつめたい。

「最高のものです、自分との出会いが。みんな自分との出会いがあっても気づかないの。

出会いがあって、初めて自分がわかる。
未知の自分 というものがそこに存在しているけれども、〔未知の〕自分との出会いで、私たちは本当の自分ということに気づきがあるんじゃないかと。」               日野原 重明

 

 

自分自信に関心を持ち、自分大好きに。

そうすれば、きっとまわりの人たちも大好きに。

恩師の教え

先生から学んだことは、数知れず。その中で、この言葉は、私の心の中に、ずっとある宝物だ。その言葉が、

和顔愛語

和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接すること。和やかで温和な顔つきや言葉つき。穏やかで、親しみやすい振る舞いのこと。

ずっと、この言葉に支えられてきたように思う。これからも、私を支えてくれる言葉。

 

知らせを聞いた、何日か後に先生を思い、涙が溢れた。悲しみではない全身を駆け巡るような溢れんばかりの感謝の気持ち。

あったかい感謝の気持ち。

 

亡くなっても、私の中で生き続ける。

あったかい感謝の念は、しっかりと生き続ける。

感謝のバトンをつなげて人は、生きている。

 

先生、ありがとうございます。

 

 

 

 

認められたい 承認欲求は モチベーションへ

最近、人間関係が、なかなかの絡まりようで、考えさせられる毎日だ。

人同士の関係。これこそが悩みであり、感動でもあり、愛憎劇の人間ドラマと言うべきか。

誰一人として、このドラマを演じていない人はいない。

人は鏡のようなもので、同じような人が引き合い、そして激しくぶつかり合う。

ぶつかり合うもの同士、やはり似たもの同士で、そして100%自分は悪くないという主張を、お互いが通す。

客観的に見れる側は、どちらにもつけない。

なぜなら、完璧な人間なんていないから。どちらにも、必ず非があるからだ。

でも、両者、それはとても理解できるものではない。

なぜ自分の方に、味方についてくれないのか。と、今度は被害妄想にかられ、攻撃してくる。

攻撃という意識はなく、正当な理由を述べているだけ。感情的に。

お互い、自分が正しいのだ。正しいんだからいくらだって言いくるめられると意気がる。正義の感情でドーパミン放出状態。

 

でも、たいがい このように怒り狂う人たちは、承認欲求の強い、自分が大事、自分に執着するタイプ。自分を頑固に通し、周りをかき乱す。大人なのに中身が子供。見て。私を。見てくれないと不安。嫌われたくない。自分を、おとし入れようとするものは、許せない。

自信のなさからくる承認欲求。認めてもらえる自分を追い求め続ける。

 

少し前の、私だ。

だから、まるで自分の亡霊のように見える。

 

そして、今自分は、どちらにもつかない。白黒つけない、グレーゾーンにいる。

だれしも、このグレーゾーンがあるのではないか。

これを無理やり、白か黒へ導こうとする方が、よっぽど不誠実ではないか。

簡単に、あなたの側につきます。と、言わない誠実さをもちたい。

そして、認めてもらいたい欲求は、必ずある。それを、人に求めたり、向けるのではなく、
何か夢中になっていること、一生懸命になっていることに向け、モチベーションアップに繋げていけたらと思う。

きっと、モチベーションに変えていける。

楽しんで。

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