生きるために自信は必要ですか。 本当の自信。

ぬけられないトンネルなんてない

 

自信をなくしたり、前へ進むことを躊躇してしまったり、何にもやる気が起きなかったり、長い人生。良いことばかりではない悪いことも当然起きる。

気分が落ちると

いつまでも抜けられないトンネルのように低迷状態

心底落ち込んでしまうと、こんなんじゃダメだ。なんとかしないとと、頭でわかっているのに焦るばかりで空回り。さらに落ち込み、なかなか立て直せない。

自信

できるなら、毎日。自信を持って人生を、いきいきと堂々と生きていきたい。

自信とは、なんなのか。

自信は、自分で築いたり、他人が与えてくれるもの。

自信があるからこそ、挑戦できるし、人に尊敬もされる。

そしてそれは、自負でもあり、飛躍にも繋がっていくこと。

この自負とは、自分の才能や能力を自分で認めていること。自信よりも強い、誰にも負けない!

という自信に満ち溢れた言葉だ。

でも、この自負は、時には自分を苦しめることでもある。

自分に自信を持ちたいから、自信に繋がる何かをしていく。

でも、それがうまくいかない。否定される。

そうなると、メンタル崩壊。

起きあがりたくても起き上がれない状態になる。

自信をつけるために

無理に頑張りすぎたり、完璧にやろうとすればするほど

自負するほど

上手くいかなかったとき、激しく気分は落ちる

自らが偉大であると確信し始めた時、私達は真に創造的になれる能力を失う

マリーナ・アブラモヴィッチ

心が風船ならば、子どもの頃は、空気がいっぱい入った風船。でも、不本意なこと。軽視や侮辱。不当な待遇により、傷つく。風船に穴があく。穴から空気が抜けてしぼんでいく。落ち込む。自信がなくなる。

 

そうならないように風船に自分で、空気を入れる。頑張って空気を入れ、頑張って膨らませる。こんなに頑張っている、こんなに頑張っている人なんだ。という頑張ってつくっている自信。風船は、空気が漏れているけど膨らんでいる状態

また、空気は少しずつ抜けていく。また、空気を入れないと。

入れないと。頑張らないと。

 

周りに認められるように

 

 

頑張らなければいけない自分。

自分とは。

自分をどのように定義しているのか。

こうあらねばならい自分。

何かを挑戦しなければならない。

失敗すべきではない。

こう見られたい自分。こういう人物像でありたい。

 

でも、ほんとは、そんなことをしなくても良いことを知るべきだ。

マトリックスの世界

エゴの支配力、影響力が強いだけなのだから。

世界の隅々まで張り巡らされている罠。エゴを。

これら全て、周りが作りだしているマトリックスでいうメンタルブロックという二元性プログラム

潜在意識に深く根を張っているから起こる”錯覚・幻想”だとしたら。

 

外の巧妙に張り巡らされているもの、周りに振り回されない、それは決して簡単なことではないかもしれない。けれど、内側にある自分だけのもの。

エゴに気づき、自己実現の衝動に忠実になることができたら。覚醒が進んでいったネオと、クライアントの闘いの時のように、放たれた銃弾は、目の前でポロポロと落ちる。

 

 

 

本当の自分 本当の自信をつける

自分の価値基準をしっかりと持つ。

ほんとの姿

あなたの本当の姿を忘れてしまっている。

まどわされない

エゴの存在を認識すること。

あなたにできる最高のこと。自分の自分だけの努力。これだけをフォーカスして。

立ち止まる勇気を持ち、今一度まどわされていないか、しっかりと確認することも必要。

自分自身を定期的に自覚する必要がある。

本当の成功者は、心の平穏を保ち、自分らしく生きること。

そして、エゴの征服こそが、本当の自信となる。

 

 

 

人は、静かで絶望に満ちた生活を送っている。

そしてそれを墓場まで持っていく。

ヘンリー・ディヴィッド・ソロー

心   思いには、傷はつく。

けれど、

自分、あなた、あなたの魂には、決して傷はつかない。

 

光だから。

あなたの魂は光。

光へ。

絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それは、最高の偉業である。

ラルフ・ワルド・エマーソン

 

 

幸せ脳をつくる。無限に幸せになる。

世界の幸福度ランキング

日本は、先進国では最下位。

結婚して子供がいるかは、幸福度と関係ない。

お金も、幸福度と関係はない。という統計が出たそう。

自分が幸せかどうかの基準は、何で指し示せるものであろうか。

人の数だけ幸せの形があるのだろう。

みんなは、何をもって幸せと定義するのか。

食べて、寝て、活動する。困らないお金もあって、結婚をしていても、なぜ人は幸福感を感じれないのか。

そこには、他と比べるということと、欲求がある。

欲求が満たされた状態が幸せ。

人それぞれその欲求にも違いがある。

普段の生活、何気ない行動ひとつにしても、人は知らず知らずに何かしらこだわりを持って動いている。

そのこだわりは、どこからくるのか。

食べて、寝て、動いていたら人は生きていけるのに、さらにこだわり、欲を持って生きている。

元から人間には、欲があるのだと言われたらそれまでだが、その欲の源は。

それはきっと、生への執着

人には、生きる希望と同様に、死への不安も抱えている。

この生と死の天秤のバランスを、バランスよく保てている時に、人は幸せなのではなのか。

欲が強すぎても、不安を抱えすぎても、バランスは、崩れてなんとなく幸せになれない。

 

人は、感情の生き物であって、この幸福感がずっと続く保証なんてものはどこにもない。

完全なるものなんてないから、わからないことだらけだから、不安は一生つきまとうし、欲望を満たしてもみたしても渇望してしまう。

これだ。という絶対的なものがあったら安心できるのに。安心したいのに。

 

 

自分が幸せかどうかなんて考えることなんて。

普段の生活で、些細な悩みや本人にとっては重大と思える悩みを抱え、それをどう解決していこうかと、そのことに日々追われてしまうと、幸福を感じていられない。

感情にどっぷり浸ってしまうと、その感情の流れに、ただただ身を任せて、

なんとなく生きてしまう。

あなたは幸せですか?

なんとなく   という状態に。

感情に身を任せすぎてもいけないし、今の自分をみつめないのもまた、バランスが良くない状態。

幸せと感じられるのは、バランスが鍵。

欲望の源 ?   生への執着

脳から見る

人体の4分の1のエネルギーを消費する脳は、なるべくカロリーを消費しないようにしている。脳の機能には、爬虫類脳があり、変化=死 と関連づけるこの爬虫類脳。新しいことに挑戦なんてしないで、今のままでいいよー。なるべく怠けていたい。エネルギーを使いたくない。

 

でも、こうやって脳を使わないようにし、さらにやりがいのないものをしていると、脳が萎縮してしまう。

脳が健康である状態が幸せにもつながるとしたら。

何か、難しいことを問いたり、新しいことをする時、脳に、適度のストレスがかかる。

すると、脳内の神経細胞が破壊される。破壊されることにより、新しい回路ができる。リフレッシュして若返る。

難しい難問に立ち向かうこと。新しいチャレンジは、脳が若返り健康になるのだ。

人体の神秘。筋肉も骨も、壊されて新しく生まれ変わる。超回復

 

ドーパミンは、今までになかった刺激が脳に入るような、新しい物事に触れると放出されて快感を感じます。そして、快感を感じたいために、脳は新しい物事を追い求めるようになる。これが、新奇探索性です。

新奇探索性ー新しい刺激が好き

日本には新奇探索性の感覚がある人は少なく、不安遺伝子を多く持つ民族。

この自分たちの民族性を踏まえた上で、幸せへ直結できたら。

新しいことをするドーパミン(行動のアクセル)が出る。できないと思っていることができるとドーパミンが出る。ストレスや意欲に関係するこのホルモン。

脳も筋肉と同様に鍛えることができるではないだろうか。

脳も若返ったら、きっと幸福を感じやすくなるのではないか。

不安を感じやすいけれど、感情にのまれず、自分をしっかりと受け入れて、新しいこと、ワクワクに向かっていけたら、きっと今まで感じ得ない幸福感に

出会えるかもしれない。

体も脳も、健康に。無限の幸せを手に入れることができるかもしれない。

天使の羽音

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踏み出す勇気で、大きく変える。変わる。

何かに挑戦したり、今の自分を変えることは怖いこと。

 

行動に移すこと、その一歩がどうしても難しい。

 

不安の波が、押し寄せてきて、その一歩がなかなか踏めない。

簡単な方、安定、ぬるま湯に浸かっていた方がずっと楽に生きていける。

 

安心な方がずっといいんだと、自分に言い聞かせて。考えないようにする。

 

 

でも、それで本当に大丈夫⁇

その判断

自分を大切にしている?

 

 

時間は有限だ。

 

 

人間には、秘められた力がある。きっと自分では気づかないだけだとしたら。

埋もれているだけだとしてら。

自分を、見ていないとしたら。

 

子育てをしていると、子供が、自分の殻を破り、必死に前へ進んでいる姿を目にすることがよくある。

 

子供たちは、その姿を大人に、これでもかと見せつけてくる。(見せつけてくるような感覚に、勝手になってるだけだけど 笑)

そんな姿を見せつけられると、大きな感動の波と、行動することの必要性、人間の神秘に気づかされる。

子供と共に、親も成長するとは、このことだろうな。

子供たちに感謝せずにはいられない。

この気持ち、伝えるなんて機会は、なかなか巡ってこないけれど。

自分を大切にしていない?

いや、大切にしてる。

大切にするってどういうこと?

 

今の、この常識を疑う。疑ってみることも、時には大切ではないか。

新しいことに挑戦する。何かやってみる。

その時の天秤

面白そう ワクワク    ♎︎       失敗する ダメダメ

 

どちらかに偏って決定される。

面白いの可能性を増やすのか、ダメになる方の可能性を増やすのか。

この可能性の、景色は、

大きく違って

きっとこの景色の広がりは、どんどん変わり、遠くを見渡せるようになる。もしかしたら、想像を超えた景色になるのかもしれない。

と、考えてしまう自分は、やはり面白そう、ワクワクを選択してしまう。

古いプログラムに執着せず、常識を疑って、

一度自分を壊せたら。

 

人間の骨も、壊して新しい骨に作り替える。

自分を壊す。

過去の自分との決別。自らを破壊。

能動的破壊。

そこから、新たな翼ができ、大空へ飛び立てる。

そして、戦う戦士になる。

この行動の星で

戦い続ける戦士になるのか。行動行動の圧倒的行動量を

それを、頑張らずにやっていけたら

 

大空に飛び、見渡せる気がする。

 

 

 

信じて。

新たな可能性へ

天使の羽音

http://www.tensinohaoto.com/

あなたの時間は限られている。

だから他人の人生を生きたりして

無駄に過ごしてはいけない。

ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。

それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。

他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声を

かき消したりすることのないようにしなさい。

そして最も重要なのは、

自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。

それはどういうわけか

あなたが本当になりたいものを

すでによく知っているのだから。

それ以外のことは、

全部二の次の意味しかない。

- スティーブ・ジョブズ -







神様は私たちに、

成功してほしいなんて思っていません。

ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。

- マザー・テレサ -



一つひとつの悲しみには意味がある。

時には思いもよらない意味が。

どんな悲しみであろうと、

それはこのうえなく大切なもの。

太陽がいつも朝を連れて来てくれるように、

それは確かなことなのですよ。

- エラ・ウィーラー・ウィルコックス -





世界には、

きみ以外には誰も歩むことのできない

唯一の道がある。

その道はどこに行き着くのか、

と問うてはならない。

ひたすら進め。

- ニーチェ -


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許せないという暴力

 

世の中、便利になればなるほど、自分の思いどうりにいくことがあたりまえで、スムーズにいかないことに、過度のストレスを感じやすくなる。

あたりまえだったものが、あたりまえでなくなる。こうあるべきものが、こうならない。

それは、不満であり、不安であり、恐れとなり、時には怒りという憎しみへと変わる場合がある。

正しいことをしないのは許せない。という正義のベールをかぶせる。不安や怒り、自己防衛を正義に置き換えてしまう。

 

どんなに自分が正しいと思うことでも、その正しさが時に許せないという暴力に変わることがある。

間違いを、わたしが、きちんと正さなければいけない。

自分ではそう意識していなくても、自分が感じた嫌な感覚を、相手にも与えていたなら。

やったら、やり返すということにならないだろうか。

裁く。

自分が裁かずにはいられない。

そんな思いに囚われてしまうと、いつまでも同じ土俵での戦いとなってしまう。

正しいと思っていた正義が、いつのまにか、やられたらやり返すになっていて、どちらが、正しいもなくなってしまう。

 

生後まもない赤ちゃんでも、善悪を判断できるのか。

という実験で

生まれつき善悪の観念一部の感覚はもっているようだ。

と結論づけた。

白紙で生まれてくるのではない、もう正義の心を持って生まれてくる人間。

 

正義は、仏の心。

みんな、人間の中には、仏がいる。

でも、その正義が悪に変わる場合があるのではないか。

 

 

許せないという暴力は、なににもならない。そこへ執着して、自分自身を不快にさせ、相手もさせ、それを繰り返しても、良い方向にいかないのであれば、見切りをつけて手放した方が良い。

NHKスペシャル 人体 神秘の巨大ネットワーク

体の臓器同士が会話をし、命と健康を支えている。巨大な情報ネットワーク。

「脳や心臓が人体の中心」なんて考え方は、もう捨てよう。
 あなたは知っているだろうか?
 体の中で、あらゆる臓器や細胞が、まるでにぎやかに会話するように、
 ダイナミックな情報交換を繰り広げていることを。
 それはまさに、人体という名の「巨大な情報ネットワーク」。
 いま、あなたの体内で交わされている、臓器たちの熱い会話が、
 あなたの命を、健康を、支えているのだ。

 

人体という小宇宙。

この番組の、人体ネットワーク。細胞が細胞へ情報を送る。

細胞にある情報物質。数百種類のメッセージ物質。

そうやって、臓器が、お互いに情報のやり取りを緻密に行っている。

 

また、メッセージ物質が作られすぎたり、必要なメッセージ物質が届かなかったり、時には間違った対話をしてしまう場合がある。

間違ったメッセージのやり取りによって起こる体の病気。

 

 

謎のメッセージ。

免疫細胞が、敵がいるぞ‼︎と、間違った警告のメッセージ物質を出してしまい、仲間たちがそれを受けとり、拡散して、敵などいないのに、身体の中で大炎上状態になって病気になってしまう。

本当は、敵なんていないのに、間違ったデマの情報により、体がおかしくなってしまうというのだ。

 

 

人間関係でのいじめも、いじめられなくてもいい人が、なんらかの間違った情報により、悪者だ。敵だ。それがみんなに広まっていき、最悪な事態にまでなってしまうことがある。

ネット上での大炎上もそうだ。

情報による判断で、人の思いは、同調し拡散して大きなうねりとなる。

物事の成否を決めるのかは、行動ではなく、情報である。

現代のこの情報社会。間違った情報ではないか。をしっかりと見つめることは大切だ。

そして、許せないという暴力にも、気づく勇気をもちたい。

間違った情報は、ただただ人を不安にさせ、危機を煽られパニックになるだけ。攻撃せずにいられない状況に陥る。

 

少ない情報の中から、それを鵜呑みにして、すぐに、敵というレッテルを張ってはいないか。

悪い人間なんていない。

レッテルをすぐに張らない情報に溺れない。そんな余裕を持てたら。

みんな、人間の中には、仏がいる。

 

因果応報

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リラックスという効果 緊張を解きほぐし最高のパフォーマンスを

緊張している?!    チカラ抜いてる?!

 

 

我が家の子供たち。部活にただいま邁進中。

親は、子供の部活動がよりよく行えるように、必要な仕事を親同士が協力しながら、学校やコーチとも連携をとって行っていく。

その中で、いろいろな気づきが出てくる。

学校の先生やコーチの想い。それぞれの父兄の想い。

感謝したり、共感したり、折り合いをつける必要が出てきたり。

そして、何より子供たちの一生懸命な姿を見て思うこと、それは一年、二年、三年と継続し続ける事の大切さ。

そして、そのパワーをいよいよ発揮する時に、感動する。

 

大人になると、日常の忙しさにかまけて、自分の好きなことをつきつめて、それが花ひらく感動を味わう経験をしている人は、少ないのではないだろうか。

 

子供たちは、それを間近で見せてくれる。そして、魅せられる。

仲間と共に過ごす時間は、やはりかけがえのない時間だ。

決して、楽しいことばかりではない、苦しく辛いこともある。それを仲間と共に乗り越えていく、我が子だけでない

子供たちのそんな姿に、毎回感動させてもらえるというのは、ありがたいことだし、自分も負けられないな。という意識になる。

子供と過ごす時間もまた、かけがえのない時間。

 

時々、送り迎えめんどくさい。と思うことも正直あるけど。笑

息子は、剣道をしているのだが、強い子に、息子が勝つというミラクルがあった。

勝ったことは、もちろん嬉しいけれど、何よりやってきたことが、花を咲かせているのが、嬉しく感動的であった。

その時、息子がこんなことを言った。

「リラックスしていたらね。一本とれたんだよ」

リラックス。

私も、200人の前で、話しをする機会があった。私は、人前で話すことが、極端に苦手。異常に手や声が震えて、赤面で恥ずかしくて、しかもそれを笑われた経験もありでトラウマになっている。

そんな私が、人前。しかも200人もいる前で話すなんて。と、自分自身が面食らったものの、不思議なことにいざ話し始めると、自分でもびっくりするほど、スラスラと言葉が出てきた。

その時も、やはり

リラックス。

緊張感が溶け、リラックスしている状態。

こうしよう。ああしよう。こうできたら。といった、雑念〔delusion〕を全部とっぱらえた時に、

人というのは、もしかしたら大きなチカラを発揮できるのかもしれない。

イチロー選手の行っている初動負荷トレーニング

40歳を過ぎても、筋肉が衰えない細マッチョなイチロー選手。

43歳でも衰えぬ肉体

衰えについて
「僕にも同じように衰えて欲しいんだな。これから僕の絶頂期が来るって、どうして考えられないんだろう。」

衰え という概念に決してとらわれることのない。こうあるべきものの考え方ではない。

トレーニング同様、考え方もまた、柔軟なイチロー選手。

そのイチロー選手のトレーニングは、筋肉をしっかりつけていくというものではなく、しなやかで柔軟性に富んだ動きを可能にするもの。

動作の最初に負荷をかけるトレーニングで、筋肉を

緩む⇨伸ばされる⇨縮む⇨緩む⇨伸ばされる⇨縮む⇨・・・

肩にチカラが入っている、力んでいるという状態というのは、このリズムが狂っているということ。

筋肉を脱力する。正しく筋肉を使える体にする。というこのトレーニングをみても、

緩めること、脱力をして、柔軟にし、いいパフォーマンスにつなげられるような身体づくりをしている。

 

体が緊張していると、視野が狭くなる。体だけでなく、思考にも影響する。

体を緩めて、体と思考がベストな状態で発揮できた時に、最高なパフォーマンスができるのだろう。

リラックスする方法として

呼吸法も有効なように思う。

息を吸ったり、吐いたり。これは、自分にしっかりと意識を向けることになる。

自分が今どの一点に集中するのかを明確にしてくれる。明確になるということは、雑念をなくすということ。

Turn off the worldly thoughts

ゆっくりな呼吸で、自分自身にしっかりと意識を向け、バランスをしっかりとれたら、リラックスしたままで勝負に出れる。

呼吸で気づきを得る。

仏教でいう「止観」自分の身体の感覚をよく感じること。

止観

止とは、まず日常的な心の働きを静め、心を一つの対象に結びつけることを実践する。呼吸瞑想を例にとると、呼吸を一つずつ「入る」「出る」と気づいていく実践をし、心がどこかに飛んでいってしまった場合には、その事実に一旦「考えている」と気づいてから、またもとの呼吸の「入る」「出る」に戻る。この一連の動作を繰り返していくと、日常的な心の働きが静まってくる



観とは、身体が感じるすべての感覚機能が起きていることを一つ一つ対象化して気づいていく。次から次へと六根によって感受が認識される際に、現在進行形に気づいていく

 

自分を見つめる。限界と思うのも自分。可能と思うのも自分。

しっかり自分の位置を確認し、一歩づつ前へ進んでいこう。

 

 

 

 

 

 

 

ラッセル幸福論

幸福な人とは、これらの統一のいずれにおいてもうまくいかないということで苦しんでおらず、自分の人格が内部で分裂していなくて、世界と対立してもいない人のことである。そのような人は、自分は’宇宙の市民’であると感じ、宇宙が提供するスペクタクルや、宇宙が与える喜びを存分に享受し、また、自分の後から来る人々(子孫その他)と自分とは本当に別個な存在だとは感じないので、死を恐怖して悩むこともない。最も大きな歓喜が見いだされるのは、’生命の流れ’との深く本能的な結合においてである。

 

 

 

 

 

 

恐怖体験からの気づき 思考力を鍛える

買い物の帰り、外に出ると雨が降っていた。家の窓を開けてきたことに気がつき、家に急ごうと車に乗り込む。娘は、助手席に乗り、私は、家の窓のことを気にしながら、ハンドルをきって駐車場から出た。

夕方ではあるが、雨も降っているので暗い。

家路を急ぎたいが、雨も降って暗いので、スピードを出さずに走る。

田んぼ沿いの直進道路。

娘は、アイドル 欅の曲を聴いていた。

直進道路、田んぼから、いきなり目の前に、動物が出てきた。

「ぎゃーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」

ひいてしまう!!!と、急ブレーキをかけた。

が、ゴンっと、下の方で鈍い音がした。

ひいてしまった!と、感じた。

後ろに車がきていたので、その流れでそのまま進む。

「どうしよう」

ひいてしまったことが、ショックで、Uターンしてまた

ひいてしまった場所に戻る。

死んでいたら、どうしよう。娘にも、倒れた動物がいないか確認して。と、いう。

 

私も、運転しながら目をこらすが

動物がどこにもいない。

たしかにさっきの場所だ。

たぬきらしい動物が左から、車の目の前にあらわれたのに。でも、隣の娘は、右から出てきたよ!という。

なんだか、ばかされたような変な気分だ。

きっと、ブレーキをかけたので、あたりがそんなに強くなく、逃げたかもしれない。

人間の道路のルールを知る由も無い動物たちは、こうやってひかれてしまうんだな。と、思った。

人間だったら。と考えるだけで、恐怖だ。ゴンと、あたりました。では、すまされない。

感情と理論

人じゃなくてよかった。じゃあ、動物だったからよかったのか。

天地創造において、動物は人間より先につくられた。動物が人間より優先されるべきであると、ヘブライ聖書にある。

ユダヤ人なら、ホッとした私に、なぜ?の論議を繰り広げるだろうな。

ユダヤ人は、論理好きで、なんでも、なぜ?

考えること、議論することは娯楽であり、幼少期から論理的思考を養っているそう。

それは、常識に支配されないように。

私は、小学校の時、ニュースも見ない、新聞も読まない。世間に全く興味のないこどもで

その当時、英語を近所のお兄さんに、習っていた。いつも本を読んでいるそのひとは、

「 何か疑問はありませんか?  」

と、聞いてきた。学校の学習以外で、その時は、疑問に感じていることがない、思考停止状態。疑問が全くなっかった。惰性や、常識にとらわれている状態。

でも、その聞かれたことは、ずっと頭にある。なぜ、私は、考えることをしないのか。と、感じていても、惰性と、常識にとらわれ、そこから抜ける術を知らない。

 

成功者やお金持ち、弁護士がユダヤ人に多いのは、きっと、思考が、本質へと導くと知っていて、それを習慣にしている。それか、そのままの生き方なんだろうな。

 

これから、ますます国際社会で思考力は求められる。

私も、子供たちも、「なぜ?」を多方面、二次元、三次元から、考えれる思考へ。

思考力を鍛えるには
● 比較する癖をつける
● 予測をする
●自問自答する
●散歩の時間を大切にする
●長時間の音読をする

 

 

どうしても、感情に偏った考え方になりがちだが、

論理的思考、感情に左右されない思考力を鍛えていきたい。

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観葉植物との出会い

 

今、この瞬間を最後だと思い、燃え尽きるように生きること。そして最後に残された全ての夢も欲も愛も使い尽くし、何もない絶望の中で死ぬ。それこそが美しい人生だと私は思う。

ジョン キム

 

植物たちも、こんな生き方をしているんじゃないかな と、ふと思ったりする。

 

 

園芸店で、なんだか呼ばれたような、なんだか気づいてオーラをだしてくる観葉植物に出会った。

枝がぐんにゃりと曲がった葉っぱが小さい、なんとも魅力的な形のその植物。沖縄の植物。

観葉植物って、おしゃれなインテリアにもなるし、空気の清浄もしてくれるし、心を癒してくれるし、いいことづくしのありがたい観葉植物を、

私は、

 

 

枯らせてしまった。

終わらせてしまった。

死なせてしまった。

動物と植物の生命は、別もんだというイメージがあるけれど、枯れた。は、死んだ。なのだ。

地球上のあらゆる生き物に共通する生命の基本メカニズム。

動けるか動けないかの違いだけだ。

その植物を、死なせてしまった。

あんなに、話しかけたり、水をあげたりして可愛がっていたのに。

以前いただいた観葉植物も、枯らしてしまったことがある。その原因は、水のやりかた。

水のやりすぎで、根が腐ってしまった。

と、今回は、水を控えめにし、日に当たる場所の置いたりしていたのだが、枯れていく。なぜーーーーーーーーー?!

今度は、水不足?!

あと、考えられることは

植物はそこにいる人の悪い気を吸いとってくれて、吸い続けてエネルギーがなくなり、枯れてしまうんだとか。

確かに、観葉植物にかまってあげれる心の余裕は、その頃なかったなあ〜。

ほんとに植物の強さ、あたたかさ、ありがたさを感じて、本当に申し訳ないことをした。と。

枯れてしまった観葉植物を、外に持っていき、たっぷり水やりをして、どうか

 

どうか

 

生き返って

願いが通じた。

い、い、い、生き返ったーーーーーーーーーー。

よかったーーーーーーーーーー。

植物同士のネットワーク

 

植物同士のネットワークがあり、情報のやりとりや、養分のやりとりもしている。植物同士は、気体や香りを使って情報をやりとりしている。
 

きっと、そのネットワークで元気になったのかな。

植物は、すごい。

 

自分と同じ種であると認識して、養分を提供する。提供された植物は、夏場は、光の取り合いになるところだが、そこは、きちんとお返しをする。

なんて素敵なネットワーク。

音楽をきかせたり、話しかけたりすると、よく育つという植物。

ひとつの細胞から完全なクローンを生み出すことができる植物。そして、植物というのは、全身のいたるところにあらゆる機能が分散されている。

なんだか 神秘だなぁ。

植物は、誕生して32億年。人間、霊長類が生まれたのは、わずかに6000万年前。

きっと、人間よりはるかに高い高度な情報の共有で、

地球の記憶や宇宙からの情報も察知しているのか。

 

それに、植物たちは、トレードオフ(あちらをたてればこちらがたたず)という関係性の中でバランス取りながら生きてるだなんて。

一人勝ちということがないのが植物の世界。だから、地球には、多種多様な植物たちが生息しているんだ。

 

 

したたかに生きているんだなあ〜

 

植物たちのように、人間も、一人勝ち競争をしなくてもいい、植物と同じバランスをとりながら、みんなが助け合って共存していける世界に。

 

 

 

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