人は、人間関係でトラブルになったりすると、相手がこうだから。相手がこうしなかったから。と、向こう側に非を見つける。
それが、両者間で、非のみつめ合いになっていくがため、当然その人間関係はうまくいかず、距離をとらなくてはいけなくなる。
はじめ、愛から始まる人間関係。
この人、どんな人だろう。この人の、こんなところ素敵だな。この人の才能素晴らしいな。この人を、もっと知りたいな。
そんな愛から入る友達や恋人や、職場の仲間。
けれど、これが崩れていくと、人間関係のトラブルになる。
それは、ちょっとした思いやりのなさから、全てが始まる。
このトラブルが起きた時、必ず向こうが威圧的な態度だから、怖い。自分は、威圧的な態度を取られる側の人間だ。弱い方なんだ。と、決めつけ、思い込む。
けれど、それはそうではない。
どちらもライオン
どちらも強いからぶつかるのだ。同じもの同士だからこそぶつかる。
弱さを、身にまとっている強い人間なだけだ。怖い怖いと、同情をしてもらいただけで、自分も相手も、全く見えていない状態。
同じ強い人間同士なのに、片方が、弱そうに見せていると、相手は、強さに気づいているものだから、よけいに腹立たしくなる。執着も強くなる。
弱そうに見せているライオンのくせに。と。その人の言動。その人の行動が、逐一気になり始める。そして、弱いふりをするライオンとライオンの二頭の戦いがはじまる。その戦いは、無意味なもの。愛から始まったものが、戦いとなり、軽蔑までに至ってしまう。
けれど、これも弱いふりをするからこそ、相手をエスカレートさせてしまっているのだ。
弱いふりをしている自分に、しっかり気づかなくてはいけない。
強い自分なんだと、気づくこと。ふりをすることは、自分に嘘をついているということ。嘘つきは、誰も信用しない。軽蔑されるのは、当たり前のこと。
人を、思いやり本当に、相手のことを想っていたら、トラブルは起きない。
果たして相手を本当に思いやる愛が、あなたにありましたか?
自分自身しか見えてないからこそ、相手の執着を、暴走させるのだ。
ライオン同士、片方に愛があったら尚更、愛のない相手気づかない相手とのやりとりは、無意味で、ただただ、虚しいものになる。
虚しい。
強い自分に気づくだけ、相手と自分も同じなんだと気づくだけで、人間関係はうまく回りだす。
自分の相手に対する思いやりのなさ。自分だけ良ければいい。弱いふりをしていた自分。人に影響を与えてしまうということを、しっかり自覚できないと、決して、愛ある行動には結びついていかない。
相手が悪い。相手が、向こうが。
の、愛のないループをぐるぐるまわるだけ。
自分だけ良ければいい。
この感情こそが、全ての結果。
そこしかない。
愛のあるわがままは、受け入れられても、愛のない自分がよければいいわがままは、決して受け入れられない。
根っこが変わらなければ、同じことをまた繰り返す。
頑張りすぎは、やっぱりよくない。
全てが結果。悪い結果は、自分自身の責任のみ。
向こう側にはない。
向こう岸を見ているだけでは、絶対に川は渡れない。
全ての根源は、自分だけがやってきたのだという思いあがり。
感謝こそが、生きる道。