緊張している?! チカラ抜いてる?!
我が家の子供たち。部活にただいま邁進中。
親は、子供の部活動がよりよく行えるように、必要な仕事を親同士が協力しながら、学校やコーチとも連携をとって行っていく。
その中で、いろいろな気づきが出てくる。
学校の先生やコーチの想い。それぞれの父兄の想い。
感謝したり、共感したり、折り合いをつける必要が出てきたり。
そして、何より子供たちの一生懸命な姿を見て思うこと、それは一年、二年、三年と継続し続ける事の大切さ。
そして、そのパワーをいよいよ発揮する時に、感動する。
大人になると、日常の忙しさにかまけて、自分の好きなことをつきつめて、それが花ひらく感動を味わう経験をしている人は、少ないのではないだろうか。
子供たちは、それを間近で見せてくれる。そして、魅せられる。
仲間と共に過ごす時間は、やはりかけがえのない時間だ。
決して、楽しいことばかりではない、苦しく辛いこともある。それを仲間と共に乗り越えていく、我が子だけでない
子供たちのそんな姿に、毎回感動させてもらえるというのは、ありがたいことだし、自分も負けられないな。という意識になる。
子供と過ごす時間もまた、かけがえのない時間。
時々、送り迎えめんどくさい。と思うことも正直あるけど。笑
息子は、剣道をしているのだが、強い子に、息子が勝つというミラクルがあった。
勝ったことは、もちろん嬉しいけれど、何よりやってきたことが、花を咲かせているのが、嬉しく感動的であった。
その時、息子がこんなことを言った。
「リラックスしていたらね。一本とれたんだよ」
リラックス。
私も、200人の前で、話しをする機会があった。私は、人前で話すことが、極端に苦手。異常に手や声が震えて、赤面で恥ずかしくて、しかもそれを笑われた経験もありでトラウマになっている。
そんな私が、人前。しかも200人もいる前で話すなんて。と、自分自身が面食らったものの、不思議なことにいざ話し始めると、自分でもびっくりするほど、スラスラと言葉が出てきた。
その時も、やはり
リラックス。
緊張感が溶け、リラックスしている状態。
こうしよう。ああしよう。こうできたら。といった、雑念〔delusion〕を全部とっぱらえた時に、
人というのは、もしかしたら大きなチカラを発揮できるのかもしれない。
イチロー選手の行っている初動負荷トレーニング
40歳を過ぎても、筋肉が衰えない細マッチョなイチロー選手。
43歳でも衰えぬ肉体
衰えについて 「僕にも同じように衰えて欲しいんだな。これから僕の絶頂期が来るって、どうして考えられないんだろう。」
衰え という概念に決してとらわれることのない。こうあるべきものの考え方ではない。
トレーニング同様、考え方もまた、柔軟なイチロー選手。
そのイチロー選手のトレーニングは、筋肉をしっかりつけていくというものではなく、しなやかで柔軟性に富んだ動きを可能にするもの。
動作の最初に負荷をかけるトレーニングで、筋肉を
緩む⇨伸ばされる⇨縮む⇨緩む⇨伸ばされる⇨縮む⇨・・・
肩にチカラが入っている、力んでいるという状態というのは、このリズムが狂っているということ。
筋肉を脱力する。正しく筋肉を使える体にする。というこのトレーニングをみても、
緩めること、脱力をして、柔軟にし、いいパフォーマンスにつなげられるような身体づくりをしている。
体が緊張していると、視野が狭くなる。体だけでなく、思考にも影響する。
体を緩めて、体と思考がベストな状態で発揮できた時に、最高なパフォーマンスができるのだろう。
リラックスする方法として
呼吸法も有効なように思う。
息を吸ったり、吐いたり。これは、自分にしっかりと意識を向けることになる。
自分が今どの一点に集中するのかを明確にしてくれる。明確になるということは、雑念をなくすということ。
Turn off the worldly thoughts
ゆっくりな呼吸で、自分自身にしっかりと意識を向け、バランスをしっかりとれたら、リラックスしたままで勝負に出れる。
呼吸で気づきを得る。
仏教でいう「止観」自分の身体の感覚をよく感じること。
止観
止とは、まず日常的な心の働きを静め、心を一つの対象に結びつけることを実践する。呼吸瞑想を例にとると、呼吸を一つずつ「入る」「出る」と気づいていく実践をし、心がどこかに飛んでいってしまった場合には、その事実に一旦「考えている」と気づいてから、またもとの呼吸の「入る」「出る」に戻る。この一連の動作を繰り返していくと、日常的な心の働きが静まってくる 観とは、身体が感じるすべての感覚機能が起きていることを一つ一つ対象化して気づいていく。次から次へと六根によって感受が認識される際に、現在進行形に気づいていく
自分を見つめる。限界と思うのも自分。可能と思うのも自分。
しっかり自分の位置を確認し、一歩づつ前へ進んでいこう。
ラッセル幸福論
幸福な人とは、これらの統一のいずれにおいてもうまくいかないということで苦しんでおらず、自分の人格が内部で分裂していなくて、世界と対立してもいない人のことである。そのような人は、自分は’宇宙の市民’であると感じ、宇宙が提供するスペクタクルや、宇宙が与える喜びを存分に享受し、また、自分の後から来る人々(子孫その他)と自分とは本当に別個な存在だとは感じないので、死を恐怖して悩むこともない。最も大きな歓喜が見いだされるのは、’生命の流れ’との深く本能的な結合においてである。