新しい年が始まって早々に、手の爪が全部剥がれる夢を見た。爪の夢は、あなたの今現在の状態や秘められた潜在能力、仕事や地位・名誉に対する貪欲さを表しています。とある。
剥がれるなんていい意味ではないなと感じた。
幸せを感じ、不満のないこの環境にいながら、なんでこんな夢を見てしまったのだろう。

貪欲さ。
人は欲があるからこそ行動に移し、それを得ようと考える。
欲が強ければ強いほど、エネルギーは強く燃え盛る。
けれど、貪欲で、内に炎を燃やしながらも、外へうまくエネルギーを放出できない人もいる。
そんな人は、
内に秘めた貪欲さは、メラメラと赤くくすぶっているだけで、決して外へは放出できない。
「あなたは、できない」「あなたには、無理だ」「あなたには、才能はない」という劣等感のベールで覆い尽くしているから。

「ありがとう、ごめんね」「ありがとう、すみません」「ありがとう、でも」
劣等感は、謝り癖をつけてしまう。あなたを、自分を
信じれない という謝りの癖。
「ありがとう、ごめんね。自分のことも、あなたのことも信じていないの。」
あまえてはいるけど、信じていない。
そんな本質を、気づけずにいる。
動きたくても、行動へうつす気力がなく、それでも秘めた貪欲さは、メラメラと燃え盛るため、それをなんとか満たそうとする。
けれど、できれば楽をしたい。できれば考えたくないし、動きたくない。それなら、
他力本願。何かに依存してしまおうと、楽な道を選択してしまう。
楽な道は、修羅の道。

幸せの切符を手にし、覚悟を決めて一緒の列車に乗り込んだように見えても、
覚悟を決めたのは、一方だけで、劣等感のベールからは不安と不満だけが増幅し、「この列車は、幸せの列車なの?本当なの?」
「もっと幸せになりたいんだから、なんとかしてくれないかな。」
と、せがみはじめ、せがまれた方も、徐々に欺瞞に満ちてくる。お互いが、期待していたものではなかったがゆえに、不信感が募っていく。
この列車は幸せの列車なのか、どんな覚悟だったのかもお互いがわからなくなる。
どこへも行き着けない迷いの列車となる。

そして結局
最終的な結末は
悲しく鋭利な刃物のような感謝の言葉をぶつけられ、ぶつけることになる。
これを向けられた人は、大きなダメージをくらう。くらう方も、必死で自分探しをする完璧主義者だ。
はじめは、お互いが思いあって始まった良好な関係性も、
依存し、依存された関係は、信頼関係など築けず不信感をお互いで強めあい、
互いに悪者へと変化していき、最悪な結果をもたらしてしまう。
善者であった2人は、悪者に。もう、修復不能な関係となる。

それだけ、劣等感は、不幸の根源だ。
プラスのエネルギーを食らう泥棒だ。悪者へと変えてしまうのだから。
うまくエネルギーを放出できる人は、その秘めた貪欲さを行動にする。劣等感や不安がないわけではない。考えることで取っ払う。不安を振り払うように考え動く。考え動き、そんな環境によって良いサイクルとなり、エネルギーをうまくまわしている。
死にたい。
ごめんね。
の、その死への強い欲。強い劣等感を、
変えてみませんか。
自分を破滅させる強いその欲求は、人を自分を笑顔にさせる欲に
変えてみませんか。
人は人を傷つける。
傷つけた方は、それに気づけない。
自分が被害者でい続けることは、加害者でい続けることでもある。

今のこの環境は、愛に溢れている。
家族、友達、目標に向かって歩む同士たち。
時には、爪が剥がれるようなそんな気持ちになることもある。でもそれは、大きな気づきの場面でしかない。
幸せになることを覚悟したもの同士が、一緒に手を取り合って歩む。
一方は、そのことに臆病でなかなか動けずにいたら、離れて見守るのも愛のかたち。
けれども、うまくいかなかったり、決して思うような結果にならなかったとしても、一緒に歩めたことを後悔したりはしない。
人の不幸は、蜜の味というが、それは人の不幸を面白がるという快感に浸っているだけで、その快楽はとくに自分の人生に役には立たない。
けれど、
失敗でしたね。と思われるような事柄でも、人の失敗というのは人を元気にさせる。人の役に立つ失敗がある。他の人の教訓を得ることに変わる失敗なら、何事にも挑んでいって失敗してもいいのではないか。きっとこの世には、無駄なものなんてないから。

本当の思いやりは、本気でジャンプして称え合い、労わりあうこと。
自分の期待を、押し付けあうことではない。
悪いから、
できそうにないから、
今を変えられないから、
そんな後ろ向きは、自分も人もハッピーにはできない。

負の連鎖は、自分でしか、断ち切ることができない。
もう傷つけるのも、傷つくのも辞める人生へ舵をきろう。