行動する。自分の好きなことをし、周りの大切な人たちに目を向け始めると、こうしてはいられないと無意識が、身体を動かせという。
気が滞ってしまって、いろいろな部分が詰まってしまっている身体を、気を通すように変える必要がある。

身体がだるい、眠い、やる気が起きない。
そんな状態だったが、スイッチが入り、まずは3か月で8キロ減量に成功。
そこから、今度は環境に意識が向く。
断捨離。
家中のいらないものを精査し、処分する。これは思っている以上に大変な作業で、今まで見て見ぬふりをしてきたもの。面倒で億劫で、特にやらなくても、ちょっとの不便に目をつむりさえすればいい。使っていない物には、意識をむけたことはなく。無関心。
怠惰な自分に向き合わなくてはならない。過去の自分に触れたくない自分に、触れなくてはならない。
断捨離がきっかけで、過去の嫌な感情まで浮き上がり、それを見つめる作業は、思っている以上にきついもの。
なんて苦痛。
その苦痛の根っこには、醜くかっこ悪い自分。恥ずかしい自分。隠したい自分。
これを直視しなければならない。
無意識は、それを拒み続けるのに、意識はそちらを向こうとするため、消耗してしまう。
都合のよい部分だけを見ていきたい。
綺麗な部分だけを見て、汚く、醜く、嫌な物には蓋をして、扉を閉ざして、見てみぬふりをする。
クリアな自分へ
それには、まず扉を開く必要があった。苦しくても。
綺麗な物、気に入った物に囲まれているだけで安心。けれど、持ちすぎはとどまるだけで、何もうまない。
何か、少し足りないぐらいが、クリアでいられる。
大事なものがありすぎて、捨てる勇気がもてず、安心に身を置いていたい。
でも、クリアでいたいから、
そんな自分は、捨てる。

そして食べ物。自分の肉体に入る物にも、今度は意識が向くようになる。
食べ物で身体はできている。何が安全で何が危険かを知りたくなる。
お腹いっぱいでは、身体に負担がかかってしまう。これも、わかっていて、気づいていても無関心。身体を労らず、そんなことは見てみぬふりで続けている。添加物も、しかたないからととっていた。
知は、救いだ。
減量し、身が軽くなり、食べた物がありがたく感じ始めると、不思議と体の機能がしっかり感じられるようになる。
物にも魂が宿るというが、本当にそのとうりで、意識を向けたものには、意識が入るような気がする。
筋トレも片付けと同時に習慣にしたが、筋肉も意識を向け鍛えると喜んでいるように感じる。
自分の肉体も周りの物も、人も、同じで。
目を向けてあげると嬉しくなるし、大切にしてくれる人のために頑張ろうという意欲が湧いてくるのではないか。
古い自分を捨て、新しい自分に。
身体も環境も、人間関係も整い始めると、やりたいことの意欲がどんどん湧いてきて、毎日が充実してくる。全てがついてる!と、思えるようになる。

習慣も、肉体も、全て脳がかえる!!
我慢して、見て見ぬふりをして生きていくことはできる。
けれど、この気づきの人生と、見て見ぬふりの無関心人生では、とてつもなく大きな差がある。
無関心でも生きていけるから。
その選択で本当に良いのか。
あなたは、何を感じていますか?
あなたは、何が欲しいですか?
あなたは、何がそんなに悲しいんですか?
あなたは、何を求めていますか?
その答えを求めてください。
その答えをそっと呟いて聞いてみてください。
聞き始めたら、耳を澄ましてみてください。
その繰り返しで、必ずスイッチが入ります。
習慣は、必ずあなたを変えます。
いきいきとした、素晴らしい人生に。
必ず変えます。

光は常に降り注ぐ。
耳を澄ましてさえいれば。
研ぎ澄まされていく。