生きづらい。って、何だ。生きづらさを感じない生き方って何だろう。
客観的に見て、私は、自分自身をこう捉えていた。穏やかな性格で、友達思い、家族思い。ダメなところは、たくさんあるけれど、それと同じくらい優しい人間ではあるのだと。
完璧ではないけれど、人のことを思いやれる人間で、優しい人間なのだと。
けれど、ある時、気づいてしまった。
無関心という残酷性。

人のことを思いやれる人間ってほどの人間ではないんだってことを。それは、自分が勝手に思い上がっていたことなんだって。
自分の中の天使の部分って、そんなでもないよね。って。気づいてしまった。

むしろ、悪魔の部分の方が、大きい人間なんだと。できれば見たくなかった悪魔の部分。それを直視し、それに気づいた時に、一気に自分自身の悪魔が大きく膨れ上がって。私の中の天使は、小さく小さくなった。ただの弱く醜い人間になり下がった私は、ただおろおろし、時に、怒りに身を任せるしかなかった。

私は、小さくなり、怯えて、ちっぽけな弱い人間になってしまった。悪魔はそれを喜び、不安を助長する。耳元で囁く。「おまえは、最低な人間だな」と。
オロオロする私を、悪魔は面白がり、含み笑いで舌舐めずりする。悪魔は、勢いを増し、私の中で大きく膨れ上がっていく。そして、私は、闇の中へ、深く落ちていった。

恐怖と、不安と、怒りと、絶望しかない闇の世界だ。地獄の世界へようこそと。
悪魔が占拠する生き方は、生きるすべを失くしてしまうということだ。生きながら、地獄の世界にいるということだ。
悪魔を直視した私は、闇の中で、それでも、もがいて必死に光を探したんだ。それはもう、必死で光を探した。

今思うと、地を這ってもがいてでも、光を探し出そうとする消えそうな意欲は、自分の中の天使。強さが、自分の中にしっかり息づいていたからなのだな。と。
光から垂らされた糸のように、私は、光を求めて必死にのぼっていったんだ。このままじゃ、絶対にだめだって。
私の中の天使。私の中の強さは、しっかりと自分の中にあって、私は、強靭な悪魔を確実に抑え込み、負の気持ちを吹き飛ばすことに成功した。

時間はかかったが、その成功体験は、今の私を形作っている。
生きづらさは、もうなくなってしまった。
それができたのは、やはり 人。私の周りにいてくれた人たちなのだ。
ずっとずっと昔から私の心の支えでいてくれた人。大切な人。
私の家族、きょうだい、友達、大切な人がいるからこそ、私は、絶対に悪魔になど負けたりはしない。
今では、自分の中の悪魔を、上手に使っているから。悪魔魂で、エンジンをかけてガンガンに戦っていける。絶対に負けてたまるかと。悪魔の欲望を、上手に使えるようになったら、生きづらさは、なくなる。

もし、前よりもっと強靭な悪魔が現れたとしたら、それと同じくらいの天使、いやその上をいく天使を出現させられる自信がある。
みんな悪魔と天使の戦いを繰り広げている。
人を球体に例えると、大きな球体の人と、小さい球体の人がいて、大きな球体の人は、自分の中の悪魔と天使の戦いに必死で、球が大きいので、悪魔も大きく、天使と悪魔の戦いは大変なもので。だから、意識がそちらへむくため、他の人と(他の小さい球体)と、うまく関われない。自分の中の悪魔と天使の戦いで、手一杯。


小さな球体の人たちは、小さい球体同士で引き合ったり、離れたりしながら、自分や他の悪魔や天使を見つめ、自分の中の悪魔や天使に向き合うことになる。
球体の大きさが違うだけで、みんな悪魔と天使の戦いを繰り広げ、しっかりと生きている。

大きな強靭な悪魔が、あなたの中にいて苦しめるなら、それだけあなたの天使。あなた自身の強さは、計り知れないんだ。
計り知れないあなたの存在。あなたのチカラ。あなたの可能性。

だから、しっかり今を
どうか
研ぎ澄まして
進め
悪魔のエネルギーを、しっかり燃やして
進め
前へ
