破壊を繰り返す自己犠牲の神。
与え高め、生み出す神。
自分は、ここにいる、ここに居ていいんだ。という実感。存在価値を手にすることが、ぽっかり空いている心の欠乏感を埋めてくれる。
欠乏感とは、満たされない。欠けている。足りない。枯渇した状態。これを埋めるために、神は行動をする。
破壊を繰り返す自己犠牲の神は、自分を許さず、諦め、剥ぎ取られ、自分を犠牲にして、与え続ける。その犠牲こそが、存在価値になる。
罪と滅びから救われたように感じるには、自分を犠牲にし、差し出すこと。己が課した儀式のようなものだ。自分を信じない。神など信じないと、呪文をかけながら与えることを辞めない。それはとても簡単なことだから。与えても与えても、何も生まない。生まれない。

激しい苦しみと死。破壊を繰り返し、とどまり続ける。
与え高め、生み出す神は、
自分の能力や技術を最大限に発揮しようとする。自分を、神を信じ、何かを生み出せないか、高めていくには。と、さらなる飛躍を望み与えたい欲求を強めていく。自分を大事にし、その分視野を広げて簡単にはいかないことにも、挑戦をする。
満たされている。という感情を、もらうのではなく、自分で体得するものだと。依存せずに自分のチカラで切り開くこと。一方だけが与えたり、一方だけがもらうのではなく、お互いで、与えもらい受けるもの。
満たされ、実感し、また新たなものを生み出すチカラをさらに与えてくれる。

自分の存在を世に生み出していく。
与え、与えられ、お互いで高めていく。
そんなプロセスを楽しめる神。
破壊を繰り返す自己犠牲の神と
与え高め、生み出す神
孤独。

この孤独は、一生消えることはない。
どちらの神も、背負った孤独。
けれど、欠乏感は、消すことができると、教えてくれた。
答えが、まだまだ見つからない。
きっと対話だけでは、たどり着かないでしょう。とにかく、動くことにします。欠乏感はなくなりましたが、孤独の旅の答えを見つけるまで、動き続けるしかない。
わからないからこそ、面白いゲーム。