我が家の庭に、思わむ訪問者。
きつねがやってきた。
秋田の秋。山々も色づいて
気温も下がり、空気も澄んでいる。
秋田も色づいて、自然アートにワクワク。
我が家の窓からの紅葉。
蜘蛛の巣に落ち葉がひっかかり、まるで、
落ち葉のオーナメント。
「紅葉観に行きたいな。」
そんな気持ちになり、さっそく出かけることに。
でも、紅葉の観光地までは、2時間以上はかかる。
近場で穴場な、紅葉を探しにでかけた。
道路に大きな鳥居。神域への入り口を通り、車でまっすぐ進む。
鳥居をくぐっただけで、もうわくわく。
どんな場所にたどり着くのか。
曇り空。
空に届く想い
空に想いが届く。
しばらく前に、空を眺めていて、雲が消えるかも?!
と、いう気持ちが湧いてきて、雲をじっと見ていたら消えてしまった。
最近も、
バケツをひっくり返したような、強いドシャ降りの雨。厚いグレーの雲が、空をおおっていた。
ふと、空を眺めて想いをはせる。その直後、不思議なことに、雲が割れていき、「えーーーーっ?!」と思っていると、
あんなにドシャ降りだった雨が、ピタリとやんでしまった。
この日も、どんよりした曇り空。
「いい写真が撮りたいな。晴れてくれないかな」
と、空を眺め、想いをはせる。
そしたら、だんだんと日が顔を出し、いい写真が撮れた。
偶然だ。と、笑われてしまうかもしれないが、なんだかとても、ありがたく幸せな気持ちになる。
紅葉の観光地でないため、車も二台しか停まっていない。
登山者しかいないようだ。
観光地にわざわざ行かなくても、近場でも癒しの場所は見つけられる。
幸せって、身近にあるのかも?!
見向きもされないような「雑草」たちを描き、科学絵本として30冊以上を世に出している。
絵本作家の甲斐信枝さん(85才) 「雑草が教えてくれたすてきな世界」 「雑草の暮らし」アマゾンレビューより ・雑草なんて、いつもどこでも同じようなもの――なんて思っていませんか? 私も「季節によって変化はあるだろうな」ぐらいは考えていましたが、冬には冬、夏には夏の、大体同じ雑草が生えていると思っていました。この絵本を見るまでは。 著者は、草花を精密に描く絵本作家さんです。でも美しい絵を描くというだけではなく、この本では、自然を定点観察する科学者のような業績を残していると言えます。著者は、空き地を5年間見つめ続け、雑草の栄枯盛衰のドラマを観察してこの本にまとめました。最初の春にはメヒシバ、次の春にはオオアレチノギク、次の春にはカラスノエンドウ、そして最後の春、地下で根に栄養をためてきたスイバが空き地の王者となります。どの雑草が優れているというより、環境の変化に応じてそれぞれの特性に合った植物が繁栄するということでしょうか。雑草たちに、こんなドラマがあったんなんて・・! ・雑草が生えた空き地なんて、退屈で汚いだけ・・・そんな先入観をひっくりかえす、雑草たちの真実の世界です。 春の小さな柔らかい緑、夏の森林のような群生、秋の盛大な実り、冬の雪に立ち尽くす枯れ草。 熾烈な生存競争をくりひろげて、空き地はダイナミックに変わっていきます。 まさに自然の大エネルギー! それを5年間も見つめ続け、しっかりと描きとどめた作者のエネルギーもすばらしいです。 ・雑草というのは美しいと思います。庭の何でもない草ですとか、川辺の名も知らぬ草ですとか、小さな花ですとか、そういうものに信じられないくらい慰められる、ということもあります。あたかもいろいろなお花見がこの世界にはあるかのように。 とある空き地のインデックス…じゃない、雑草たちを観察し、そのポートレイトを数年間かけて描きつづけた作者。たとえ大変でもその作業は至福の時間でもあったのではないでしょうか。出典:アマゾンレビューより
いつも見過ごしてしまっているけれど、身近に、素敵な世界がたくさん存在している。
自然の美しさ、小さい生命から、大きな生命。
なんでもない景色でも、よーく目を凝らしていると、思わぬ発見に出会える。
「私、人生観変わったの。観察しているうちに。 それはもう大変な財産でしたよ」
雑草を観察しているうちに、人生観まで変わってしまうなんて。
自然は、脅威でもあるけれど、人生観まで変えてしまうほどのやはり大きな大きな存在。
その自然の中で、生かされている自分。
不思議な体験と同時に、自然のあたたかさ、大きさを感じ、幸せを感じる今日このごろ。
自然の贅沢で豊かな時間に、私も出会いたいし、大切にしたい。