子供はこどもではない。子供はおとなではない。 汚れのない眼鏡を持ち、世界を知りたいという好奇心をむねに、考える頭を持つ 小さいからだの哲学者です。 中島 芭旺
10歳の哲学者。ばお君のことば。
読み聞かせボランティア
月一で、小学校の絵本の読み聞かせをして、2年目になるが、
絵本を見る子供たちのまなざしは、キラッキラしていて、そんなまなざしを向けられてしまうと、読み聞かせは、ちょっとやめられない。
何十年も、やっている人もいて、「毎回、私が楽しみで来てるんだよ」とおっしゃって、年期の入った絵本をペラペラと、めくっていた。
その本は、くたびれてるようにみえるけれど、その分、子供たちのまなざしを、キラキラに輝かせてきたんだろうな。
子供たちが、イメージ、想像力がふくらむ絵本をチョイスする。
思いついたことを、ストレートに思いついたまま、答えてくれる。友達の考えに、驚いたり、自分の考えが正解して喜んだり、間違えても、なるほどーーと、感心したり。
周りの明るさと人間の心はリンクしていて 周りの景色もリンクしている。 だから実際にそこに無いものでも見える。 この力。 要するに想像力を働かせると、見たいものが見れるんだ。 中島 芭旺
想像力。創造力。
人が社会に出た時に、必要不可欠な力。
想像力、創造力から、生み出されるもの。つくられるもの。奏でるもの。
この想像力、創造力を鍛えるのは、やっぱり、楽しむこと。
脳が刺激されるような最強楽しいこと。
読み聞かせの時に、授業が始まってしまうのに、もっともっと
もっと読んでーーーーーー。と、子供たち。
絵本は、子供たちの楽しいって感情を揺さぶり、脳に刺激を与える。
絵本は、最強なのかもしれないな。
おおきな木
著 シェル・シルヴァスタイン 訳 村上 春樹
多くの人々に、愛される絵本 世界的ロングセラー。
原作の題名は The giving tree 与える木
内容は、与え続ける木と、受け取る少年のお話。
読んでいる人が、まずどう感じるか。それも、受け取り方は、さまざまなんだろうな。
国民性の差が表れるというこの絵本の捉え方。
無償の愛が、テーマか、幸せがテーマか。
最後、木と少年は、幸せだったのか、幸せじゃなかったのか。
無償の愛とは
に、思いをはせる。
この木は、幸せだった。美しい無償の愛。
この木は、不幸だった。与えるだけの愛。
この木は、不幸でも幸せでもない。どちらでもあり、どちらでもない。与えてあげているのではない、そのままの生き方。不幸とも幸せとも言えない生き方なのか。
なぜ、木は話せるのだろうか。
話せなかったら、少年の考え、人間のひとりよがりの思考で話は進んでいくのかな。ひとりよがりで、勝手に木を切ってしまうのかな。
当たり前に、与え続けないことは、愛ではないのか。
受け取っていた少年が幸せでないとしたら、与えられ続けることって。
与える木が幸せでなかったら。
幸せじゃなかったとしたら、どちらも、幸せになるとしたら、どんなストーリー展開になるのか。
無償の愛は、人間の究極のゴールなのか。
そもそも幸せや愛は、ゴールではないのか。
これこそが、無償の愛なのか。
これは、無償の愛とは言わないのか。
なら、どういうのが無償の愛なのか。
あたり前が、いけないのか。あたり前に与えることが、いけないことか。
あたり前と思っていることの多さに気づいたり、人間のつきない欲望に気づいたり。愛とは、幸せとは。
という、深いテーマに思考が向かっていく。
絵本って、
すごい。大人も子供も、絵本で、おおいに刺激を受けよう。